2025年4月5日|銀キャリ
社長って、なんであんなにカッコよかったんだろう──。
銀行員のキャリアから、現場を経て経営の道へ。すべての原点を語ります。
目次
- あの頃、社長に憧れて
- 社長と“本気の話”がしたい──銀行員という選択
- 海外駐在で出会った、本気の現場
- 帰国後に感じた「違う、ここじゃない」という違和感
あの頃、社長に憧れて
「社長って、なんであんなにカッコいいんだろう?」
それが、すべての始まりだった。
私の父は、祖父が営んでいた会計事務所の税理士でした。
その事務所は祖父の自宅にあり、私たちの家とは別。けれど私は、なぜか頻繁にそこへ遊びに行っていました。
玄関を開けると、スーツ姿の“社長”たちが次々と出入りしていました。
皆どこか堂々としていて、自信に満ちていて、でも父の前では少しだけ素の顔を見せる。
私はただその横で、じっと会話に耳を傾けていたのです。
「社長って、何か特別な存在なんだな」
そう思うようになったのは、ごく自然な流れでした。
一方で、家ではこう言われて育ちました。
「絶対に商売はするな」「税理士にもならなくていい」
父からも、母からも、将来に対しての勧めはどこか慎重でした。
「この商売も、お前の時代はもう見えないから」──そんな言葉を何度か聞いた記憶があります。
それでも私は、社長たちの話が、どうしようもなく好きでした。
学校の成績はひどいもので、とても税理士になろうなんて考えもしませんでしたが、
他の子が漫画やゲームに夢中になる中、私は経営者たちの言葉に心を奪われていたのです。
「この人は、どんな会社をやっているんだろう?」
「なんでそんなことをしたんだろう?」
そう考えるのが、私にとっての“遊び”でした。
ちょっと変わった子どもだったと思います。
でもそれが、今の私のキャリアの原点です。
社長と“本気の話”がしたい──銀行員という選択
進路を真剣に考え始めた頃、頭に浮かんだのは、ひとつのシンプルな願いでした。
「社長と、毎日、本気の話ができる仕事がしたい」
あの頃の私は、まだ何者でもありませんでしたが、確かに“誰と、どんな時間を過ごしたいか”だけははっきりしていました。
その願いに一番近いのが、銀行という場所だったのです。
企業の資金繰りを支え、経営者の悩みに耳を傾ける。
夢を語る声も、苦しい決断も、真正面から受け止める。
そして何より、若いうちから社長と対等に向き合える──そんな環境は他にはない。そう思ったのです。
実際に銀行に入ってからの毎日は、まさに“生きた経営の授業”でした。
「おう、先月の数字見たか?」と試算表を広げながら話してくれる社長。
「この設備投資、やるべきか迷っててさ」と、迷いを打ち明けてくれる社長。
そこには、教科書では絶対に学べない現実の経営がありました。
その一言一言が、私にとっては宝物のような学びであり、心からの喜びでもありました。
海外駐在で出会った、本気の現場
そんな日々の中で、ひとつの大きなチャンスが巡ってきました。
海外駐在のポストです。
そこには、これまでに出会ったことのないタイプの“社長”たちが待っていました。
オフィスも工場も何もないところから、ゼロから立ち上げる社長。
スーツを脱いで、現地社員と一緒に汗をかく社長。
「とにかくやってみよう!」と、悩むよりも先に動く社長。
──どの人も、圧倒的なスピード感とエネルギーを持っていました。
私は次第に確信するようになりました。
「元気な社長と会いたいなら、日本よりも海外だ」
それはただの印象ではなく、3年間の現地駐在を経て、骨の髄まで染みついた感覚です。
私が本当に話したかったのは、
机の上の理屈ではなく、現場の匂いがする社長たちだったのだと、心から気づきました。
帰国後に感じた「違う、ここじゃない」という違和感
3年間の海外駐在を終え、私は本帰国となりました。
任されたポジションは、大型店舗の法人課長。
一見すると順当なキャリアにも見えますが、私にとっては明らかに「違う」と感じました。
私は、
「海外経験を全店に展開できる業務につきたい」と言って「ポストチャレンジ制度」に応募しました。
それは、単なる希望ではなく、明確な“志”でした。
なぜなら──
銀行員の仕事とは、お客様の“仕事のすぐそばの話”をすること。
海外展開を目指すお客様にとっては、比較できるリアルな情報こそが必要でした。
他社はどこにどう進出しているのか。
現地で何が起きていて、どんな判断が必要なのか。
数字ではなく、現場の空気や意思決定の感覚を、実体験として伝えられる存在。
私は、それが「海外駐在を経た銀行員」の最も重要な役割だと信じていました。
だからこそ、「全店に展開する本部ポジション」が、自分の次の使命だと思っていたのです。
色々思いましたが、サラリーマンである以上は仕方がないですね。
私が足りなかったのでしょう。
海外赴任をすると、継続研修等を受けられず、資格を取りなおす必要があります。
それで、リハビリと言う名の本部着任がおおいんですね。
私は営業店配属なのでノルマはしっかりあります。
資格がないので、無理やり部下についてきてもらいました。
そしてある人の、冗談めかした一言──
「海外でボケたんじゃないか?」
それを聞いた瞬間、私の中で何かが静かに崩れました。
他にも色々ありましたが、結局この職場は潮時だと思いました。
手を差し伸べてくれたのが、かつての駐在先のお客様でした。
「うちで一緒にやらないか?」
その一言が、私の未来を照らしてくれました。
そして私は、銀行を離れ、メーカーの海外営業職というまったく新しい世界へ、一歩を踏み出したのです。
次回予告
次回は、銀行を離れて飛び込んだ「ものづくりの世界」での“修行の日々”についてお話しします。
──現場で学んだ、汗と鉄のリアルとは?
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