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【8】【第2話】“わかったフリ”が通じない現場で──40代の僕が技術を体で覚えた理由

目次

■ スーツの中身が空っぽだった——転職直後の挫折

銀行を離れ、私はメーカーの海外営業職として新たなキャリアに挑戦しました。

「海外で、もう一度“社長たち”と本気の会話がしたい」
その思いが、転職の最大のモチベーションでした。

——しかし、現実は甘くありませんでした。

金融の知識には自信がありました。
数字を読む力、資金繰りの構造、投資の可否、説得の論理。
けれど、メーカー営業において求められたのは、まったく別のスキルでした。

「この製品、ほんとうに分かってるの?」

顧客からそう疑われ、
社内では、専門用語すら理解できずに置いていかれる日々。

ある日、ある人から言われた一言が、今でも心に刺さっています。

「元銀行さんだもんね。わかるよ、大変だよね」

——やさしい言葉のようで、完全に見下された気がしました。

私は40代。
肩書きはプレイングマネージャー。
でも、**見積もり一つ作れない、現場を知らない“見せかけだけの上司”**でした。

プロパー社員たちの冷ややかな視線。
背中で語る現場の空気。
そこに私は、完全に“異物”として立っていたのです。

悔しかった。情けなかった。でも、それ以上に、自分が嫌になりました。

■ スーツを脱ぎ、作業着に着替えた日——社長の助け舟だった

評価されない。信頼もされない。
40歳を過ぎて、見積もりも図面もわからないまま、私は現場で立ち尽くしていました。

そんなとき、社長が一言だけ、私に言いました。

「メーカー営業をやるなら、まず“技術”を学べ」

その言葉は、厳しくもあり、どこか温かくもありました。
「営業に向いてないから飛ばされた」と思い込んでいた自分にとって、
それは**“逃げるな、でも信じてるぞ”**という静かなメッセージのように聞こえたのです。

そして私は、工場への異動を命じられました。

渡されたのは、名刺ではなく、作業着と安全靴
スーツのポケットに入っていたはずのプライドは、どこかに置いてきたような気がしました。

担当は組立。
周囲には、20代前半の若手や、10歳以上年下の上司。

それでも彼らは、私を“バカにする”のではなく、
一から丁寧に、真剣に教えてくれました。

理屈っぽい質問にも、しっかり技術で答えてくれた。
その上で「もっと学びたいならレポートを書いてみませんか?」と背中まで押してくれた。

その時、私は初めてこう思ったのです。

「この現場には、本物のプロがいる」

そして後になって、気づくことになります。
この異動は、「左遷」でも「現実逃避」でもなかった。

あれは間違いなく、“社長からの助け舟”だった。

■ 製品が語る世界に、私は一歩ずつ入っていった

銀行時代は、「マニュアルを読むのが当たり前」でした。
メーカーの工場にも、組立の作業指示書やチェックリストはちゃんと用意されていました。

——でも、それを“読める”自分ではなかったのです。

左ねじ、締め付けトルク、バランス、公差、心出し——
どの言葉も、見慣れない記号のようにしか思えず、意味がまったく分かりませんでした。

現場で語られる言葉は、まるで別の言語のようでした。

あるのは、工具・感覚・そして勘
それぞれの動作に、「理由」があり、「意味」があり、
一つひとつに、製品の“声”が込められていたのです。

私は、完全にゼロからのスタートでした。
図面は読めない。部品の名前もわからない。
そもそも、製品が“完成する”という感覚すら、なかなか得られませんでした。

当時、私が最初に取り組んだ製品は、納期に余裕のある“簡単なもの”ばかりだったと、あとから知りました。
先輩たちが、私のペースに合わせてくれていたのです。

ひとつ進めてはメモ、わからなければストップ。
1日かけてようやく一つだけ完成させた日がありました。

その瞬間の満足感たるや——格別でした。
「できた…!」と、心から喜びがこみ上げたのを覚えています。

……でも実際は、ほぼすべて、先輩が手直ししてくれていた。

それでも私は、その一台を「自分が作った」と思いたかった。
それくらい、自分にとっては大きな一歩だったのです。

私は、毎日ノートを取りました。
わからない言葉は家に持ち帰って調べ、翌日また質問し、メモする。
現場で何度も聞いて、教えてもらい、自分の“言葉”として吸収していく。

やがて、先輩たちは私に言いました。

「見てるだけじゃなくて、やってみろ」
「お、今日の組立は早かったな」

その一言に、どれだけ救われたことか。

はじめは「異物」だった自分が、少しずつこの世界に馴染み、
製品が語る“声”を、自分の中にも感じられるようになった瞬間でした。

そしてある日、
私は“人間の精度”のすごさを、はじめて自分の身体で実感することになります。

隙間を触って「何ミリ違うか」が手でわかる。
目で見た中心が、ズレていないと“感じられる”。
それは、図面でも数字でもなく、
人の感覚と経験にしかない「凄み」でした。

この時、私は確信しました。

——「技術は、ただの知識じゃない。体で覚える“言語”なんだ」

■ 技術が自分の“もの”になってきた、ある春の日

組立を始めて、1年が経ちました。
その頃には、ほぼ住み込みに近い形での勤務をしていて、
若い同僚たちとの共同生活も、人生で初めての経験でした。

毎日、朝から晩まで工場にいて、夜は寮で語り合う。
20代の仲間たちと、年齢関係なく笑い、食べ、語った日々は、
振り返ると、本当に楽しかった記憶として残っています。

現場では、ようやく組立作業のほとんどを一人でこなせるようになっていました。

今思えば——
ちょっと偉そうに講釈を垂れていたかもしれません(笑)。
「こうやった方がいいよ」「それはこっちの方が早いよ」
そんなことを言っていた自分を思い出すと、少し照れくさい気持ちにもなります。

でもその頃、私は**社内のサービスエンジニアテストで“S評価”**をいただきました。

あのときは、正直——「もう怖いものはない」と思っていました。

ようやく、技術が「自分のものになった」と思えた。
“銀行出身の異物”から、“メーカーの人間”になりつつある実感がありました。

そして私は、工場で学んだ技術と手応えを胸に、
次は“現場”で試す番だと、自然に思うようになっていたのです。

自信を持ち始めた自分。
「ようやく、スタートラインに立てた」と思っていたあの頃——

でも、まだこの先に“本当の壁”が待っていることを、私は知りませんでした。

つづく

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この記事を書いた人

ginkariのアバター ginkari MANAGING DIRECTOR

銀キャリ /

こんにちは、銀キャリへようこそ!
私は、銀行業界で約20年経験を持つ現役の経営者です。これまで、法人営業や資産運用アドバイザーとして働き、多くの企業や個人の財務面をサポートしてきました。

現在は**「銀キャリ」というブログを運営しており、主に銀行員のキャリアアップや転職に関する情報を発信しています。
私自身、銀行員から経営者に転身した経験があり、まだ経営者としては3年**を過ぎたばかりの新米ですが、この経験を通じて読者の皆様にお伝えできることが多いと感じています。

ブログの目的は、銀行員のキャリアを見直すこと。
ファイナンシャルプランニングの専門知識を活かして、キャリアに役立つ情報や投資に関するアドバイスも提供しています。

このブログが、皆様のキャリアをより豊かにするためのヒントやアドバイスの源になることを願っています。

リアルとフィクションを9:1の割合で混ぜて発信。
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